本棚をなにげなく眺めていたら、今から20年近く前、私が東京で受験浪人をしていた時に買った、「駿台フォーラム 第15号」が目に留まりました。

 

手にとって開くと、巻頭は、当時の駿台予備校講師の予備校生時代からの英語科講師、奥井潔の「ウイリアム・ブレイク頌 地獄の格言について」でした(ちなみに奥井先生は、私たち予備校生の間では、敬意を込めて「奥井師」などと呼ばれていました)。先生が逝去されたのは、それから3年後です。

 

一粒の砂の中に一世界を見、
一輪の野の花に天國を見る、
汝の掌(てのひら)の中に無限を、そして
一時(ひととき)の中に永却を捕らえること

(To see a World in a grain of sand
and a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in a palm of your hand
and Eternity in an hour.)

ウィリアム・ブレイク 「無垢の占い」(奥井潔訳)

 

 

ブログを再開してから、もしかしたらロルフィング®を始める前から、私のそばにはずっと同じテーマがあるんだなと改めて感じます(笑)。

 

しかし、散る花をいとおしみ、これを哀れと思う私たちの心は、既にたまゆらではないものを、永遠なるものの存在を暗黙に措定しているのではないでしょうか。

散る花の一時(ひととき)の生命を包摂し、それを受け止めてくれる何ものかの、ブレイクは「愛している」と言っていますが、やさしく受け取ってくれる永却なるものの手の存在していることを措定していないのでしょうか。(中略)

…「一切を摂取して捨てぬ」何ものかの掌(てのひら)を、永却なるものの現存を、自分は一輪の花の中に、いや有限なるものすべての中に観たのだと、ブレイクは告げているのです。

奥井潔「ウイリアム・ブレイク頌」駿台フォーラム 第15号 pp.19-20

 

 

20年前の私が何の気なしに通り過ぎて、すっかり頭から抜け落ちていた文章です。

 

4月に入ってから、都内では桜が見頃が過ぎ、散り始めています。

日々いろいろなクライアントに接する体験を重ねてきた今では、はらはらゆっくりと目の前に下りてくる花びら、それと一緒に薄っすらと、「『一切を摂取して捨てぬ』何ものかの掌」を感じます。